わが街にもあるか 今、発信する地方文化

『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を
山形県酒田につくった男はなぜ忘れさられたのか』より

 
浅沼経営センターグループ 副代表 浅沼公子
 
開映のベルは、ムーンライトセレナーデ
  昭和20年代から30年代−。
 ギュウギュウ詰めの映画館で、背の小さい私は、必死に前の頭をよけながら立ち見した映画の数々。「ローマの休日」「風と共に去りぬ」「雨に唄えば」「しのび逢い」「哀愁」……たくさんの映画の中に映る豊かさの象徴、その夢のような世界に浸っていた同じ頃、遠く山形県酒田の人々は、世界一の映画館『グリーンハウス』の回転ドアを押していた。
 グレーのダブルのジャケット、黒ズボン、蝶ネクタイ、白手袋で正装した白髪の案内係が、「いらっしゃいませ」と満面の笑みで出迎える。真っ白なカバーのついた座り心地の良い椅子に腰を下ろす。
 その頃の映画館のほとんどが「ジー ジー」と、けたたましく開映のベルが鳴るのに対し、グリーン・ハウスでは「ムーンライト・セレナーデ」が心地よく流れ開映を告げる。何という違いだろうか。
 
グリーン・ハウスに一度行ってみたいの
  グリーン・ハウスはおしゃれして行かないとね、とささやき合う酒田の女性。個室の「御家族室」「特別室」で飲食しながら、リビングルームにいるようにくつろいで、ガラス越しにスクリーンを見ることができる設備まであったというから、快適性を追究するという先見性には驚かされる。
 かの淀川長治に“世界一の映画館”と言わしめたグリーン・ハウス。この本を開くと見開きに、グリーン・ハウスの創設者 佐藤久一のポートレートが掲載されている。そこに“久一”と書かれていなければ外国の美男スターと見まごう繊細な白皙(はくせき)の美青年である。名家に生まれた育ちのよさ、その頃の上流階級の生活そして広い見聞、それが無ければこのグリーン・ハウスは生まれていなかったであろう。
 人間は自分の経験したこと学んだこと以上の発想は生まれない。
名家に生まれた彼は生まれながらに、ノーブレス・オブリジェ、貴族の責務のようなものが身についているのであろうか。
 「土曜劇場」として、地元学生やアマチュア演劇公演にグリーン・ハウスを提供。日曜日は、小中学生と父母のために「サンデー劇場」を開校。市立酒田病院の入院患者にアメリカ映画の試写会をするなど、企業の地域貢献を半世紀近く先取りしている。
 
舌を巻いた食通たち
 14年目にしてグリーン・ハウスを人に任せた久一は、フランス料理店「欅(けやき)」をオープンする。
 東京オリンピック後、フランス料理は急速に広まったが、一般の人々には高嶺の花、一部の階級の人の料理という感があった。そんな中で、山形県酒田のバラエティに富んだ海の幸、山の幸を使ったフランス風郷土料理ともいえる創造的な料理を発表した。これは、フランス料理研究家 辻静雄、フランス人シェフ ポール・ボキューズの指導を得、フランス語の原書と首っ引きで研究した賜物である。作家の開高健、丸谷才一などに「日本一のフランス料理、裏日本にあり」と言わしめ、さらにフランス料理店「ル・ポットフー」をオープンした。
 
レストランはただ食べるだけではない、人生の情景の一部を引き受けるところだ
  「レストランは、五感の全てが解放され、歓びを享受する場所でなければならない。精魂込めておいしい時間を創造することだ」と佐藤久一はよく言っていたという。
 人生最上のレストランに酔いしれる客。一方で、材料原価さえも料金を上回る現実に、経営はどんどん悪化していった。金融もほとんど梗塞状態にあり、株主に大損害を与える。減資に踏み切ったオーナーより経営の建て直しを厳しく迫られる中で、アルコールに沈溺する生活。
 山形県酒田市という地方都市であまりに先進的であった。その鋭い感性ゆえに完璧性を求め、海の幸山の幸が豊かな酒田ゆえに、その創造性に拍車を掛けた。
 彼の生育環境、性格の激しさ。なぜ命を賭してまでお客様からの満足を求めるのか。
 湧き上がる気持ちをずっと押さえ込み、ソロバン勘定とお客様満足、社員満足を3方両立させる苦しみの渦中にいる私にとって、惜しむらくは、佐藤久一という、類まれな人物をマネジメントする者がいなかったのか。いや、絶対無比な強烈な情熱がそれを拒否したのか。
 本を閉じて、私の体を駆け抜けていく、久一の激しさにしばし茫然とした。
 
参考:『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れさられたのか』
〈2008年1月講談社より刊行/筆者:岡田芳郎氏(元電通CI室長。電通総研常任監査役も務める)〉